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 20年前こと、川辺の平屋のアパートに、子供の居ない70代夫と60代妻の老夫婦が住んで居ました。私は、そのお宅に週2回の訪問看護をしていました。妻は、肝臓がんの終末期で腹部の膨隆が著明でした。腹水を静脈に流すシャントをしていたので起き上がる度にめまいがありました。無口な夫は、片麻痺で足を引きずりながら生活をしていました。

 ご夫婦は、軽度の知的障害がある様でした。かっとなって人を寄せ付けないため、支援も十分に受けられず要らない物がいっぱい溜まっていました。玄関を開けて家に入るのだけでも大変です。機嫌の悪そうなお二人に慣れるまで、3か月間は緊張の連続でした。

 少し打ち解けて話せるようになると、玄関を塞いでいた使わない建材や、読まないのに何社分も取っている新聞について、ケアマネージャーさんや、ヘルパーさんと相談しながら整理できるようになりました。

 60代妻の意向は、お風呂に入る事でした。しかし、お風呂は壊れていて暫らく使われいない様です。ケアマネージャーさんが大家さんに依頼して修理が出来ました。そして、ご主人がお風呂を沸かして待っていてくれるようになりました。

 状態は安定していましたが、急変の可能性もありました。私は、ひどく緊張しました。しかし、浴槽に入って満足している妻を傍で見ていたご主人は、頷きながら満面の笑みを浮かべています。一緒に居た私もとても嬉しくなりました。

 妻は入浴できた喜びを訪問ヘルパーさんに話しました。ヘルパーさんは、喜んでいたと私に話してくれます。そうするとまた私も嬉しくなりました。

 この家に訪問する人々は、皆このご夫婦が好きになりました。

 ある時、夫が誤嚥性肺炎で入院する事になりました。妻が一人となる為、日に何度も誰かが訪問する事になりました。

 一週間後、夫が帰宅と同時に私も訪問することになりました。

 ヘルパーさんんは、夫のために妻のベットの下に布団を敷いてくれていました。

妻は目の前の夫に「良かったなぁ」と、つぶやく様に言い泪しました。

夫も、うなずきながら泣き顔です。つられて、私もケアマネージャーさんも泣きそうになりました。

 その後、二人の落ち着いた生活がありました。しかし数カ月後に妻が先に亡くなりました。

 小さなテーブルの上には、誰かが持ってきた桜が飾られていました。

 夫は「さみしさで胸が潰れそうだ。」と私に話しました。

 無口な御主人とばかり思って居た私は、とても驚きました。

 皆、一人残されたご主人が心配でした。ケアマネージャーさんが、遠方の甥子さんに相談して施設に入所する事になりました。皆は、さみしくなるけどと、ご本人の幸せを願いました。私も安心しました。

 半年くらいして甥子さんから手紙が来ました。叔父(夫)は、大学病院で腹部大動脈瘤の手術後でしたが入院中に誤嚥でなくなってしまった事、かっとなる性格で親類を寄せ付けなかったこと、遠方で関わりを絶っていたいた事を後悔している事、などが書いてありました。ご夫婦に接していた私たちにはとても辛い知らせでした。

 私たちは、温かくて切ない貴重な体験をしていました。それからは道ですれ違った時も、「元気にしていますか?」と、こころの通い合う同志となりました。