育てる

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   近所の花屋さんで軒下につるしてある植物が気になっていた。それは、植物園で見たことのあるもので、たぶん水やりはあまり気にしなくてもいいと思われた。空中につるすので邪魔にもならない。それで、「これが欲しいのですが。」と聞いてみたが、「これは預かりもので売れない。」という。

 仕方がないので「お水を忘れても枯れないのはどれですか?」と聞いた。すると「多肉植物がありますが、でも水をまったくやらないと言うのはだめです。花を育てる気持ちがないと。」と答えた。

 近くにあった春らしい黄色い花が目に留まった。それを購入するにあたり、「肥料は必要ですか?」と尋ねると、「もちろんです。鉢も植え替えて下さい。」と言われた。「私は、育てると言う言葉を忘れていました。」と話した。

 鉢は、無かったが水溶性の肥料は購入できた。花と肥料を渡されるとき、店員さんは「お願いします。」と言って私の手に預けた。

 考えて見れば、子育ては終わったような気持ちになっていた。しかし私は、自分がまだ育っていないような気がする。どうやって育てればいいんだろうか。

 ふと、わが子の幼い頃を思い出した。保育園から帰ると「ママ、いっしょにあちょぼう。」と言った。私は何をして遊べば喜ぶんだろうか。

 その頃の私は、近くの図書館で児童書を借りて来て読み聞かせをしていた。「パディントン」というクマのぬいぐるみは、薄汚れて駅に置き去りにされていた。それを子供が拾って来て、家族と過ごす。パディントンマーマレードジャムが大好きでそこら中をべたべたに汚してしまう。私は始めは、気もち悪かったが、おおらかなパディントンがだんだん好きになった。

 人魚姫を読んでいた。意地悪なアースラが人間になりたい人魚姫に「お前は、声を失ってしまうよ。それでもいいんだね。」とイジワルに言う。何回も読まされるので疲れた私が、いい加減に読んで居ると娘は、「ううん!だめぇ!」と怒った。それで感情をこめて思いっきりイジワルにセリフを言うと、彼女は喜んだ。

 その当時、勤め先の小児科には、季節によって自家中毒の子供たちが大勢受診していた。点滴をしなければならない場合、おとなしくしてもらうために絵本を読み聞かせていた。子供が次第に物語の世界に引き込まれてゆく、真剣なひとみが面白かった。そして周りの大人もみんな引き込まれて行き、聞き耳を立てていた。

 私は幼い頃の悲しい出来事を思い出した。居間で一人で絵本を呼んでいると、玄関から帰って来た母が「この子は、空読みしてるよ。文字が無いところまで読んでいる。ハハハハハ!」と、馬鹿にして笑いものにしていた。その後ろには父がいた。私は背中に冷水を浴びせられた様に凍りついた。

 大人になって人に読み聞かせをすることで、私は知らずに癒されていたのかも知れない。教会の長老が言った言葉を思い出した。「大勢の人の中で一番後ろの人に、神さまの言葉を届けるような気持で朗読してください。」

 教えられた様に、そうするとマイクを通して私へのメッセージが返って来る様な気がしていた。

 長老は、プリエストからの「まだやりたいですか?」と言うハラスメントにも動じずに、いつも落ち着いて先唱(司会)を務めていた。そして会衆全体が安定していた。

 どれ程のいじめにも負けない。それが育てられた私の今となったのかも知れない。