くやしくて
くやしくて眠れない夜。
誰に聞いたところで答えなどあるわけでもない。
仕方がないから、
一人で、難しい本を何度も、暗誦する様に読んだ。
しかし、今のように泣くことはなかった。
歳をとって涙もろくなったからではない。
泣くことも出来ないほどの悔しさが死んだように眠っていたのだ。
時間が有る今、死んでいた人生を惜しむように、せっせと思いを書いて行く。
神様、私を生きる時間を与えて下さい。
泣き叫びながら書いてゆく。
残り時間が迫ってくると、荷ほどきしたくなる。
できるだけ軽くして楽をしたくなる。
人間ってそんなもんでしょう。
あーカイヤに幸せになってもらいたい
友人と数年来、読書会をしている。私が読む小説『ザリガニの鳴くところ』の主人公カイヤは、幼い頃に自然の中に一人取り残された。動物たちである友人に心を育まれて生きた。しかし教育を受けていないため、偏見から窮地に追い込まれて行く。
長い物語は終盤にさしかかり、読者の心が締め付けられ捉えて行く。
最後に友人の放った言葉は、「ああ~!カイヤに幸せになってもらいたい!」と、やるせない思いのこもった言葉だった。
彼女の言葉に、私の心が騒いでいた。
地球
自分は、地球の一部でしかないと気づいた時、物の見方が変わる。自然と語り合うと生きている自分が居ると気づき、もう一度自分の言葉を取り戻す。
私は、川の流れが好きで、いつまでも眺めていたかった。そこには、沢山の魚が泳いでいた。一瞬で変わる風景。
海に近い川には潮衝がみられ、水面の波紋は不思議な模様に絶えず変化し、人生に起こる出来ごともほんのさざ波でしかないと教えている様だった。
Rescue Hub
先日、受講した講座でレスキュー・ハブという特定非営利法人を運営している方のお話を聞いた。
社会のこころの貧困の縮図が弱者をさらに追い詰めて行く。犯罪組織の巧妙さにも驚いた。
犯罪に巻き込まれたりしないと殆どの人は、思っている。しかし、他人事では済まされない。
坂本さんは、この世を去る時に持って行けるものは何もないんだ。という心の声に突き動かされた。
そして弱者が性的搾取される現場に官民問わず組織的横断的な取り組みをしている。官民協働体制の構築を目指している。
自分が無関心な分だけ、誰かが痛みに耐えている。と知らなかった。
体の突出痛には、服用量の六分の一のレスキューの痛み止めを飲む。
社会的痛みには、無関心を止めて行動しなければ治らない。
どうぞイスにすわって空を見ましょう
山坂の多い長崎では、坂道を登ったところで休憩出来るように椅子が置いてある。
でも、こんなかわいい椅子は滅多にないと思い、私はさっそく娘を座らせて写真を撮った。
近くには、幼稚園があり子供たちの楽しそうな姿が目に浮かぶ。
横の看板に「どうぞーー椅子に座って空を見ましょう。」と書いてある。
ハートに刈り込まれたフェンスからは、谷の向こう側の山がのぞいていた。
のんびりした時間。
大切な時間。
こいのゆくえ
年末年始に家族4人で旅行に行った。その水路には、いつもコイがたくさん泳いでいた。家族旅行では、そんな時しか行ったことがなかった。
娘は、コイが群れになって泳ぐ様子を婿に見せたかったようだった。
しかし、予想を裏切りコイの群れは、浦上川にも、中島川にも、島原でも見当たらない。
私も、とうとう魚も住めなくなったのかしら?と悲しくなった。
長老の方に聞くと、上流の方に深く掘られたところがあって、そこは水温が一定しているから、そちらに移動している。とのことだった。
長年住んだ町と思っていたが、家族の誰もそんなことは、全く知らなかった。
※ 写真は、やっと見つけた貴重ないっぴきを息子(娘の夫)が撮影してくれたものです。
健診
ネコの健診で、前日は22時から絶食していた。
昨夜は私の帰りが遅くて、22時を過ぎてしまい、ネコに隠れて夕食をとるのは気が引けてしまった。
だから、途中のコンビニのイートインで軽食を食べて帰る。
そして、帰宅してから、こっそりとキャストフードを隠した。
今朝はネコの検査が終わるまで、私も食事をせずに過ごした。
ネコは高齢だから、時々足を引きずってしまうこともある。ゼイゼイすることもある。
人間と同じように健診を受けるネコ。
あまりにも可愛がっているので、検査を受けながら、もしかしたらレントゲン写真は、人間の形ではないか?と、思ったりもした。
しかし、撮影されたレントゲン写真は紛れもなくネコだった。
ネコは、だいたい歳相応らしい。
私もそろそろ終活の年齢層だ。
先に逝っては、申し訳ないからセルフメンテナンスをしなくては、
先日行った私の健診結果はまだ来ない。
今日はまた、夕方の研修が待ち構えている。
とりあえず、ギリギリまで体をゆっくり休めることにした。