公園の神
ある公園に、私の話を聞いてくれる70歳くらいの女性がいる。あまりに辛くて癒されたいとき、私はそこに立ち寄ってしまう。話し始めは、生まれた古里の話だった。その女性は、19歳で上京してきた。しかし怖くて帰郷は出来ないと語っていた。
そういえば私も同じ痛みを持っているかも知れない。と思った。
「おにぎり持ってきました。一緒に食べようと思って。」女性の隣ベンチに座って一緒におにぎりを食べながら話し始めた。
「一人で暮らしているんですけど、今日は一人で食べたくないなと思って」
そこに猫が近寄って来た。顔が若い猫だ。
女性は「うちの猫なの。」という。
「かわいいですね。」
女性は、逃げた猫の後を追ってごはんをあげに行って居る。その後に私が差し入れたお茶をコップに満たして出して下さった。私には失われた優しさがあると思う。
「ありがとうございます。」と伝える。
女性は「私なんて、水道の水でいいのに。」という。
私は、悲しかった。この方に何があったのだろう。
「私、仕事と勉強も精一杯やってますけどね。今日は、なんでこんな不毛な事やっているのかな。と思ってもう嫌になってしまいました。……私は、子供時代を失くて、大人しかしたことがないんです。……トラウマの治療を受けましてね。自分が浦島太郎みたいに、いきなり老人になってしまった。そんな感じなんです。悲しくてたまらない。」
「高給取りなんでしょう。いいお仕事してるでしょう。」
「いいえただのパートですよ。私は、自分の為にも、人のためにもできる事をしたいんです。ですから頑張っているんですけど容易じゃない。」
「親友を作りなさい。そして、土日には、喫茶店でゆっくりコーヒーブレイクするの。」
「ああそうか、私にはそんな心の余裕が無かったんですね。友人たちも一生懸命な人たちばかりです。私は、朝4時から起きて頑張ってる。あんまり良く眠れない感じもします。ありのままで良いって言われても私には分からない。」
「……世間のひとはいいかげんな事をいうんですよ。世間がそうさせるんですよ。」
「ああそうかも知れません。何かに無理強いされ、焦らされている感じ。」
「そういう時はね。睡眠薬を飲んでね。しっかり寝たほうがいい。」
「ありがとうございました。気持ちが軽くなりました。」
公園の女性は、仲間同士の連帯感の中で幸せを感じられている様だった。おごった所がなく人のこころを見抜かれている。
私にとっては、こころの薬のような存在である。